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私の故郷では、すずな・すずしろ以外は すべて

道端や川辺に よく見かけたものでした。

母が七草粥を作るのを初めて見たときは、

まな板の上にある”草”に

「え!? あの(道端の)草を食べるの!?」と驚いたのを覚えています。

 

 

「芹なずな 御形はこべら仏の座 すずなすずしろ これぞ七草」

四辻の左大臣(四辻義成)が詠んだ歌ですが、詠んだということはつまり

1300年代後半(南北朝時代)にも

これらの野草は身近なものだった ということですね。

 

今ではス―パーに 期間限定で”生えている”草になりましたが。

大分の護国神社では七草粥が500食無料で振る舞われたそうです。

今年のお正月は体調を崩してしまい、あまりご馳走を食べていないので

私の胃は 粥いらず(;’∀’)

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