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「殷・周・秦・・三国(魏、呉、蜀)・南北朝
随・・宋・明・・・」

中学校の頃でしょうか。暗記した「中国」の名前。
今になって役立つとは思いませんでした。

先日、こんな話がありました。
「中国(と日本)の左上位の考え方がありますが、
・あの人の右に出る者はいない
左遷・・・それまでの位から低い立場に落とされること
というのは、右上位の考え方ではないですか?」
確かに、左遷といえば左に動かされる=左はよくない言葉です。

「左上位」の由来
日本も唐の時代に、この考え方が入ってきました。
今でも和室、国会議事堂、日本演劇の舞台などは
左側が上位のままです。

中国から日本に「左上位」の考え方が入ってきたのは
遣隋使、遣唐使として盛んに中国(隋・唐)に赴いて
いた頃。

唐の時代、中国では「天帝は北辰に座して南面す」
との思想のもと、左が上位として尊ばれました。

ザックリ言うと、偉い人は南に向かって座るので
その次に偉い人は日が昇る東(左)側がいいよね、
という考えです。

右上位は?
漢の時代は「右上位」だったようです。
右に出る者はいないよね、とか、左遷と言う言葉は
この時代に生まれた考え方のようです。

漢は、随・唐よりも前の時代です。
その頃の思想も日本に届いたということでしょう。

中国では王朝や時代が変わる際に「左上位」「右上位」がしばしば入れ替わったので
結果、日本にも2つの考え方が残っているようです。

政権が変わると、思想が一変する。
易姓革命はすべてを滅ぼす必要があったのでしょうか。
族誅(罪人自身のみならずその一族にも死罪を及ぼさせること)
も古代中国の死生観といわれています。

この政権では右、この政権は左。

現在の100年弱を生きる私達にとって
天と地がひっくり返るような変化は多くないですが
長い歴史で見ると、あっと驚くような真逆の思想が
あったようです。
日本は島国のため、(大陸に比べれば)
180度思想が変わることは、まだ少なかったようです。

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